佐々木一成のブログ

元JOYBRASS トロンボーンアドバイザー 佐々木一成のブログです

Lucienne

どうも、アドバイザーの佐々木です。

 早速ですが…「lucienne renaudin vary」の画像検索結果

このトランペッターご存知ですか?

Lucienne Renaudin Vary(ルシアンヌ ルノダン ヴァリ)という名前のフランス人女性トランペッターです。1999年生まれの18才という若さながらフランス国内でその実力を見出され、今は主にヨーロッパで演奏活動をしているプレイヤーです。

なぜこのブログでこの子を取り上げるかというと、常日頃僕自身が大切だと思っている

歌(イメージ)がそのまま楽器に投影されるようなアプローチを体現出来てると感じるプレイヤーの一人だからです。

もちろん世の中に素晴らしいプレイヤーは沢山いて、ちゃんとそういうことが出来ているのですが、彼女のすごいところは技術的に若干追いついてないなと思う場所でも音楽的なものがしっかりと感じられる部分にあります。そういうことってなかなかなくて、ほとんどの名手は音楽も技術も高い次元で表現出来てるのであまりわからないのですが、彼女の若い時からの演奏(YouTubeにいくつかあります)を聴くと表現したい音楽が強く先行しているのがわかると思います。

多くの場合、技術が伴って音楽表現として成立するものと思いがちですが、前から書いているように、圧倒的にしたい表現こそが技術よりも先にきているべきだと思うのです。技術はそこに付随してついてくるというか、必要な技術が明確になってくると思うんですよね。彼女の場合、それをこんなにも出来る子がいるんだ!と初めて彼女の演奏を聴いたときに感じたもんです。

そんなルシアンヌですが、トランペットを始めたのは9才の時、それまでは初めはダンス(フランスにはバレエの文化の関係か、音楽学校に大抵ダンス科も併設されています)をしていてそれから楽器…ではなくソルフェージュをまず授業としてとったらしく、それがとても楽しかったとテレビのインタビューで答えていました。個人的には恐らくそれで楽譜=音の結びつきが強くなったのではないかと思います。今はパリ音楽院のジャズ科?即興演奏科のような科にいてジャズを勉強してるみたいです。演奏もどちらもやっているようですし、彼女にとって表現のツールとしてのトランペットがすごくハマっただけなのではと想像しちゃいますね。これからも楽しみなプレイヤーです。

ちなみにPhilémon(フィレモン)君という弟さんがいてコントラバスを勉強しているようですが、彼も同じように音楽主体が非常に強く感じる演奏をしています。

いったいどういう環境で育つとそうなるのか…めちゃくちゃ興味あります。

 

 

今回はここまで、それではまた。

 

 

 

 

Don't Think, Feel!

どうも、おひさしぶりです…アドバイザーの佐々木です。

大分涼しくなってきましたね、 ブログの更新頻度も涼しさを通り越して若干寒い感じになっていますが…。

 

レッスンで良く思うことなのですが、上手くできないところを指摘すると、そこの部分に意識の多くが向けられてしまい、今まで出来てたことのクオリティが落ちたり、さらにはその問題をその場で解決しようとしすぎて逆に上手く行かないことがあったりします。

 

意外かもしれませんが、意識して自分の体を操作して治そうと思ったことは案外上手くいかないことが多いと思うのです。それよりもアクションして出てきたものに対して違いを率直に認識できたほうがより効果が出ることが多く見受けられる気がします。

さあ、それはなぜなんでしょう?

 

正直なところ僕も良くわかりません(笑)

ただ想像すると恐らく奏法主体で考えて演奏している場合が多いんじゃないかと思います。

 

自分の演奏感というのはあくまでも経験に基づいた方法でしか基本的に思いつかないので、それで良い変化が起きればそれを採用していきますよね。ただその経験から奏法主体で考えてしまうことになりやすい気がします。この吹き方で良かったんだから吹き方は間違っていない…みたいな感じで。いや、自分は色々考えててもちゃんと変化を感じながら調整出来ているという人もいるでしょう、それならば良いのです(笑)

それにレッスンをしていて感じるのは意外と多くの方がそのアクション(奏法)に対してちゃんとした結果をいきなり得ようとして上手くいかない方が多い気がします。つまり、100点の状態にしようとしてしまうことでバランスがおかしくなってしまうのではないかな?と思っています。いや、完成型をイメージするのは大事ですよ!100点どころか500点くらいあってもよいです。

指摘したことに意識が行き過ぎて、フレーズまでも失ってしまうことも少なくないように思います。「さっきより良くなりましたよ」と言ってもあまりピンと来てないような反応をされる時もありますね。まあ、レッスンの場合は往々にしてわかりやすい変化が特に求められるのでしょうけど…。

性格もあるのでしょうが、傾向があるとするならばキズを認めたくないとか完璧にキチン吹きたいような比較的まじめな性格の方に多い感覚がありますね。

そういう人は少し良くなっても

「出来ていない」

と感じてしまいがちです。上手くいかないけれどさっきよりかはマシな気がするくらいで良いと思います。

 

結果を0か100で処理してしまうと出来るものもどんどん遠ざかっていくことがこと楽器演奏においては多いような気がしますね。

 

さらにこの事は調子が悪くなった、出来てたことが出来なくなったという方にも効果があると感じています。人間の体というのは常に変化をしていると言われますが、調子が悪くなった状態が続いてる場合、どうしても吹けてた時の吹き方でなんとかしようとしたり、そのときのクオリティをすぐに求めてしまうことが多いと思います。この時も、ほんの少し出来たことは出来てないとカテゴライズしてしまいます。なので、もし出来ないことがあっても緩く考えても良いんじゃないですかね…課題意識は持ち続けるのは必要だと思いますが。それよりももっと単純なところでちょっとした部分で「できる」「できない」のテストを繰り返していくと良くなっていくと考えています。

 

考えるのは楽器を吹かないとき。

感じるのは楽器を吹いているとき。

くらいの意識でやると良いかなと思います。

 

今回はここまで、それではまた。

 

 

 

  

アーティキュレーションレボリューション

どうも、アドバイザーの佐々木です。

 

今回はアーティキュレーションについてです。

留学時代はとても厳しく指摘されていたアーティキュレーション、皆さんはどのように意識し、演奏しているのでしょうか?

まずはアーティキュレーションとはなんぞや?というところから考えてみます。

googleさんに聞いてみたところ 

f:id:kazooy:20170818140745p:plain

とこんな感じで出てきました。

音楽の場合だとどちらかというとこの「明瞭度」というニュアンスから使われてると思います。

さて、このアーティキュレーションというやつ。一般的なニュアンスはスラーやスタッカート、アクセント etc…など音符に使われている記号を総じて認識してると思います。

これって

 

思った以上に相対的でアバウトな記号なのです。

 

えっ?知ってるよって?

いやいや、みんな意外とこれらの記号に縛られているものなんです。

ほら、人って何かを形容するときの感覚が違うことが良くあるじゃないですか?

そのことは理解しているのに演奏となると途端に決まったパターンで吹いてしまう感覚になりことが多いと思うんですよね。

例えばアクセントの吹き方とかスタッカートの吹き方みたいなことで教わって、それが固定化される傾向が良くあります。でもこれはあくまでもニュアンスとして考えてみてください。同じアクセントでも強さ、長さ、音色感など同じ「アクセント」とされるアーティキュレーションのなかにめちゃくちゃ幅が存在しているはずなんです。

そして曲中で何をもってアクセントたらしめるかというとですね……

この間レッスンでこんなやりとりがありました。

 

私 「確かにそこはスタッカート書いてあるけど短すぎない?」

生徒「いや、学校でもっとスタッカートに聞こえないとわかりにくいと言われて…。」

私 「うーん、確かに書いてあるように吹くんだけど。これだとフレーズが突然ぶった切られる感じにならないかな?」

生徒「そうなんですけど、他とのが出ないと言われまして…」

 

そうなんです、差があれば良いのです

 

全体はもちろん前後のフレーズの中でアクセント感を感じさせれば良いのです。

なので、例えばスラーはレガートタンギングで全て演奏しないといけない訳ではないと思うんです。弱めにアタックをかけて全体をつながるようにようにして…(いや、それがスラーじゃんということはないですよ!違うのです(笑))とか、テヌートだけど少し早めに減衰させて…とかテクニカルな部分でももっと自由に考えれると良いと思うんです。やはりイメージがとても大事になってきます。

 

僕が勉強してきたクラシック音楽は、楽譜に忠実に演奏するように努めないといけないとずっと言われてきました。確かにそう思いますし、僕もそう教えています。そういうことが理由なのかもしれませんが、ジャンル的に形式、様式がきっちりしていると思われがちですが、実はもっと幅のある世界なのです。なので世界中のオーケストラが全く同じ楽譜を使っても違う演奏になっていったりするのはそういう部分の集合体のカラーの違いみたいなところが出てくるからなんですね。多くの違いはそれぞれの言語の違いや生きてきたなかでの聴いたり、学んだりした音楽などの嗜好性が強く出てきます。

そういう意味ではイメージの引き出しをもっと持っていたいと常に思いますね。

理想は同じ曲を違う雰囲気でいくらでも吹くことができると最高です!

そう考えるともっと面白くなってくると思いますよ〜

 

今回はここまで、それではまた!

 

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シンプルへのススメ

どうも、アドバイザーの佐々木です。

はい、また開いてしまいましたね ……。

いや~なかなかバタバタしておりまして、すみません。言い訳

暑くなってきましたね〜。先月は富山のウィンズラボさんでのイベントのお手伝いをさせて頂きました!沢山の方に出会えて、とても楽しい時間を過ごさせて頂きました!

 

 今回は演奏行為をよりシンプルにしていこうという回です。

 

普段レッスンをしていて思うことがあるのですが。色々なことをやろうとして、自分で自分を吹けないようにしてしまっているような事例が多く見受けられるので、今回はどのようにして演奏行為をシンプルにしていくかということを僕なりの視点で考えましょう。

 

僕も陥ってしまったのですが、学生の時に指摘を受けたことをちゃんとやろうとしすぎてて、むしろレッスンの前のほうがスムーズに吹けてたみたいなパターンが増えてしまいました。

傾向としては色々な要素を教わって、それを演奏時に全て取り入れようとしているように見えることが多いです。例えば、色々なことを自由に吹けていたのに、勉強すればするほど吹くことが難しくなっていくようなパターンに陥る人もそれなりにいるように感じますね。

前にも書きましたが、演奏時はとにかくシンプルに出来るようにアプローチをするほうが良いと思います。その場合演奏時には頭の中の歌と楽器に対するアクション以外は出来るだけ削ぎ落としていく必要があると思うのです。

 

息を吸うときはこうした方が良い

アンブシュアはこの形で…

楽器の持ち方はこうして…

舌の位置はこの場所で…etc.

 

こういったような要素は、それぞれ練習の段階で試行錯誤しながら取り入れるのは大事なことなのですが、いざ曲を吹く段階で気をつけようとすると肝心の歌がとにかく離れていってしまうんですよね。

「いや、歌はちゃんとあります」という方もいるのですが、ほとんどの場合に感じるのはその割合が小さくなって薄くなってるのです。自分の中の音は常に理想を緻密に再現できるようになると良いですね。音程や音量、表情だけでなく響きかた、艶、スピード、などなど色々な質感をとにかくリアルなやつを出来るだけ浮かべてください。

音のイメージと良く言いますが、そのイメージの持ち方は人によって様々だと思うのです。その中でも僕は上に書いたような、より強いイメージを持ったほうが良いと思っています。だからなんというか操作して音を出すというよりもその音に体が反応する、イメージに体がついていくみたいな感じに近いと思っています。

なのでまあ、あれですよ。知識も必要かもしれないけれど、

 

感覚の再現性をもっと大事にしてみてください。

 

ということです。

本日はここまで、それではまた。

 

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ツイッターもやってます。

 

 

 

 

 

 

質問に答えます vol.8

どうも、アドバイザーの佐々木です。

お久しぶりです。

 

早速、今回はいただいている質問に答えていきます。

 

A  パートのウォームアップパターンをやるとバテてしまい、合奏で上手く吹けません。

Q  そうですね…。実際にどういうパターンなのかとか奏法に原因があるからなのか何とも言えないところもありますが、基本的に技術的な苦手なものを全体の流れで半強制的に行うことで無理が生じて疲れてしまうというのはありますね。その場合、自分にとってはウォームアップという名前がついたキツい練習になっているというところでしょうか。コツというか考え方としてはとにかく無理くり吹かないというのと頭の中ではそれがめちゃくちゃ吹けるようになりたいと思いながら自分のペースで吹いてみるというのをしてみてください。この自分の頭ではそれをちゃんと吹こうと歌うというのと同時に無理に吹かないというのがポイントです。また何かあれば質問ください。

 

Q  初見がとても苦手です。何かコツはありますでしょうか?

A  初見ですか……。僕も全然です(泣)

いや、これでも色々とやってきたんです。なので少しづつは出来るようにはなっている…はずです。それで佐々木的初見上達ポイントみたいなやつを挙げますね。

1、とにかく譜面を見て歌うのを癖つける

いや、もうトロンボーン的にはそれが一番良いと思うんです。最初から上手く歌えなくても良いのでいつも意識的に譜面を見て歌うことをやりましょう。

2、自分の状態を気にしない

初見以外の時もそうなのですが、

「音色があれだな」とか

「いつもの感触じゃないな」とか

「今のところいつもなら平気な感じのフレーズなのになんで外したんだろう」とか

自分のことばかりに気をとられてると大概上手くいかなくなってしまいます。

3、小さくならない

環境もあるのでしょうが、自信がないとおとなしく演奏してしまう人はある程度開き直るくらいの感じが良いです。

どうでしょう、とりあえず僕はこの辺の要素が大きく影響する感じです。

 

Q  低音でのタンギングが苦手です。音色がロングトーンの時と変わってしまいます。

A  これはこの前レッスンでもありました、状態に個人差はあるとは思いますが、この前の方は上の音域とほぼ同じようにタンギングをしていたので、短い音符の時に上手く音が発音されない現象が起きてましたね。僕の体験では舌を離すまでの滞留時間が低音域のときには若干長くなるような感じでやると上手くいくような気がします。慣れると高音域と同じような感覚で出来るようになってきます。

しつこいですが(笑)これもあくまで「自分の中の音楽」を形にしようとする流れで上手くいかないときのひとつのやり方としてとらえることのほうが大事だと思います。やはり動きや演奏の型を意識してやってしまうと頭の音楽が薄まってしまう傾向があると思うので…。

Q  最近のブログは真面目な感じの記事ばかりですね。前にあったようなくだけた感じのも楽しみにしてます。

A  あんなのにも需要があったのですね、

うん、ま、書きますよ。心の余裕があればですが!

 

はい、今回はこんな感じです。

すみません、また随分とあいてしまいました。まあこれからもこんな感じでマイペースでやっていきますが、もう少し増やして良いかな…ま、期待しないでください(笑)。

 

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ブレスとフレージング

どうも、アドバイザーの佐々木です。

先日イベントで、山形は東根にある「管楽器工房 Brass」さんに行ってきまして。沢山の方々とお会いしてきました。山形の皆さんありがとうございました!

さて、twitterでバストロを吹くと息が足りなくなるがバレにくいブレスはどうしたら?的な質問を受けましたので、今回はブレスとフレージングの関係についてです。

大前提として

足りぬなら 吸わねばならぬ 何時も

です。

要は吸ってくださいということです。はい

ここでどう吸えば不自然に聞こえないのか、ということに直面しますが、シチュエーションにも左右されます。周りに他の音が鳴ってるのか、それが薄いのか厚いのか。同じ楽器か違う楽器かとか、ソロかハーモニーかなど状況によって音楽的に可能なブレスタイミングは変化します。実はそれはその人の個性というか絶対的なものはありません。というのも息は音であり、音楽である。ということを考えると個々人の音楽性みたいなものがブレス自体に既に存在しています。そこで、自分がこう演奏したいという欲求と物理的に足りない息とのギャップをどう埋めるかですが・・・。

それでですね、ええと…足りない場合、まずはもっと吸えるようになりましょう(笑)

僕もまだまだ足りなくて、もっと吸えるようになりたいと常に思っています。特に息量はそのまま音色に影響しやすく、本番など緊張する場面ではブレスのクオリティに影響が出やすいです。なので常日頃「自分はもっと吸えるはずだ」と少しで良いので意識して練習してみてください。

で、音楽的な息継ぎのことですが、ほとんどの場合ブレスの前の音の処理と自分の中で音楽が続いている状態かどうか…要は歌えているかということだと思うのです。

細かなことをいうとブレスの前は時間をとれるようなフレーズの減衰加減だったり、ブレス後の音の質感を気をつけることだったりするのですが、全ては歌として捉えられれば良いと考えてます。

実は管楽器以外の楽器でも音楽的ブレスコントロールみたいなものは行われていて、弦楽器やピアノでもフレーズの「間」みたいな部分とブレスは似たような関係にあったりします。ギターを弾いていたころは呼吸でフレーズの緩急をつけろと言われたことがあるのですが当時は正直良く解らなかったですね…。ですが今ならそのことも理解できます

とにかく「歌」として考える→次第にそこに必要な息量が見えてきます→足りない場合はフレーズを分割するまたは途中で吸うけれども歌としてなるだけ自然に行うという感じです。

どうですかね…。よくわからないようであればまた質問してください。

 

今回はここまで、それではまた。

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twitterでも質問できます。

 

 

 

楽器と言語と音楽と

どうも、アドバイザーの佐々木です。

今回は言語による影響が管楽器奏者にはあるのか?です。

個人的な感覚でしかないのですが、僕個人の意見は

あるっちゃあるし無いっちゃない。

です。(なんだそりゃ?って感じですが…)

口の中や舌を駆使しながら演奏する管楽器にとって普段使っている言語の使い方=舌や唇の使い方のバリエーションがそのまま音に出てくることは実はよくあったりします。そういう意味では例えば日本語の場合、他の言語に比べて母音や子音の種類が少ないことが多く、例えば発音や聞き取りのカテゴライジングが多言語において違うものを同じだと認識してしまうこともあります。これは僕も留学時代にめちゃくちゃ注意されましたね。

ただもちろん個人差もありますし、方言や訛りのように同一言語を母国語にしている場合でも土地や習慣などで違うことよくありますよね。なので普段喋るときに使っている動きは楽器を吹くときにも同じような感じで使いがちになります。それが大きな違いとなっていく可能性があります。

でもでも?実際には、現代において大きく違うことはあまりなくなっているように感じます。前にも書いたようにyoutubeなど、音源や演奏する映像など簡単に見ることが出来るようになっていますし、世界中でトレンドも含めた「良い演奏」というものをそれぞれがある程度追えるようになっています。そこで起きること、

 

音を知り、真似て、繰り返す(練習する)。

これは言語の覚え方そのものじゃないですか。

 

そう考えると昔は譜面が流通するだけで、音源すらないまま色々な解釈で演奏されていて、個性が強い演奏が多かったのだと想像できますね。それと比べて今はスタイルが慣らされて画一的だという話もありますが、しょうがない気がします。色々な音や演奏を聴いてみて「あ!この演奏が良いな。」という感覚の最大公約数的な部分に集約されていくのだと思います。それでも確実に音もスタイルも差が出るものじゃないですか?例えばワールドトロンボーンカルテットの4人だってそれぞれ個性的ですしね。そういう意味では、音も聴いたこともない楽器をポンと渡されて音の出し方だけを教わった場合が一番言語的な意味でも影響あるのではないでしょうか。僕の先生の話で、中学で部活に入って初めて吹いた楽器がクラリネットだったらしいのですが、家でご両親がクラシックをよく聴いていたみたいで、クラリネットという楽器がどんな音がするか知っていた記憶があり、初めて楽器を吹くのに、いきなり普通に音が出せたらしいです。

だとすると、やはり大事なのは自分が本当に欲しい音、フレーズ、イントネーション、質感etc…。を常に具体的にイメージしながら練習していくことだと思うのです(これまで幾度となく言ってる気がしますが…。)。そのためにも何を、どこを聴くかというインプットのアンテナのバリエーションもあったほうが良いと思います。蓄積されていったその先に自分の理想みたいなものが形作られていきますし、自分の技術や演奏タイプ的な妥協点もより生まれやすい(ポジティブな意味で)ですしね。

それこそが音楽という言語を習得するということに繋がっていくことになるのだと思います。

 

今回はここまで、それではまた。

【質問は tb@joybrass.co.jp までかTwitterまでどうぞ!】