どうも、おひさしぶりです…アドバイザーの佐々木です。
大分涼しくなってきましたね、 ブログの更新頻度も涼しさを通り越して若干寒い感じになっていますが…。
レッスンで良く思うことなのですが、上手くできないところを指摘すると、そこの部分に意識の多くが向けられてしまい、今まで出来てたことのクオリティが落ちたり、さらにはその問題をその場で解決しようとしすぎて逆に上手く行かないことがあったりします。
意外かもしれませんが、意識して自分の体を操作して治そうと思ったことは案外上手くいかないことが多いと思うのです。それよりもアクションして出てきたものに対して違いを率直に認識できたほうがより効果が出ることが多く見受けられる気がします。
さあ、それはなぜなんでしょう?
正直なところ僕も良くわかりません(笑)
ただ想像すると恐らく奏法主体で考えて演奏している場合が多いんじゃないかと思います。
自分の演奏感というのはあくまでも経験に基づいた方法でしか基本的に思いつかないので、それで良い変化が起きればそれを採用していきますよね。ただその経験から奏法主体で考えてしまうことになりやすい気がします。この吹き方で良かったんだから吹き方は間違っていない…みたいな感じで。いや、自分は色々考えててもちゃんと変化を感じながら調整出来ているという人もいるでしょう、それならば良いのです(笑)
それにレッスンをしていて感じるのは意外と多くの方がそのアクション(奏法)に対してちゃんとした結果をいきなり得ようとして上手くいかない方が多い気がします。つまり、100点の状態にしようとしてしまうことでバランスがおかしくなってしまうのではないかな?と思っています。いや、完成型をイメージするのは大事ですよ!100点どころか500点くらいあってもよいです。
指摘したことに意識が行き過ぎて、フレーズまでも失ってしまうことも少なくないように思います。「さっきより良くなりましたよ」と言ってもあまりピンと来てないような反応をされる時もありますね。まあ、レッスンの場合は往々にしてわかりやすい変化が特に求められるのでしょうけど…。
性格もあるのでしょうが、傾向があるとするならばキズを認めたくないとか完璧にキチン吹きたいような比較的まじめな性格の方に多い感覚がありますね。
そういう人は少し良くなっても
「出来ていない」
と感じてしまいがちです。上手くいかないけれどさっきよりかはマシな気がするくらいで良いと思います。
結果を0か100で処理してしまうと出来るものもどんどん遠ざかっていくことがこと楽器演奏においては多いような気がしますね。
さらにこの事は調子が悪くなった、出来てたことが出来なくなったという方にも効果があると感じています。人間の体というのは常に変化をしていると言われますが、調子が悪くなった状態が続いてる場合、どうしても吹けてた時の吹き方でなんとかしようとしたり、そのときのクオリティをすぐに求めてしまうことが多いと思います。この時も、ほんの少し出来たことは出来てないとカテゴライズしてしまいます。なので、もし出来ないことがあっても緩く考えても良いんじゃないですかね…課題意識は持ち続けるのは必要だと思いますが。それよりももっと単純なところでちょっとした部分で「できる」「できない」のテストを繰り返していくと良くなっていくと考えています。
考えるのは楽器を吹かないとき。
感じるのは楽器を吹いているとき。
くらいの意識でやると良いかなと思います。
今回はここまで、それではまた。